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宇宙世紀はどこまで続く

いよいよ、機動戦士ガンダム ジークアクスが始まりました(感想は別の機会に)。
 いちガンダムファンとしては、ユニコーンガンダムの続きを早く見たいとずっと思いながら暮らしている(小説としては出ているらしいけれど)。
 
 果たして、宇宙世紀はどこへ行くのか向かうのか。映画のナラティブの続編はあるのかないのか。バナージとヨナの共闘はあるのか。カミーユ・ビダンの復活はあるのか(かれこれ30年近く願っている)。
 ファンとしての興味と関心はどこまでも続く。
 
 実のところ、かなり昔は若い子向けの、SFを書いていた(早川書店や創元社から出ているようなディープなものではなく)。
 
 古くて恐縮だけれど、かつては「銀河英雄伝説」にはまり、「宇宙の皇子」にはまり、「幻魔大戦」にはまり、「グインサーガ」にはまるうちに、まだ若き頃(ずっとずっと昔)、いつしかアニメの原作になるような小説を書きたいと思うようになった。
 
 ただSFという分野は、歴史物、サスペンス、ホラー、魔法系ファンタジーと同じく、強烈なコアファンというものがついていて、深い造詣ともに、一家言持つ、まさにその道の筋といった人たちが多く存在している。
 
 自分が作った作品の出来が悪かったせいもあるが、書いても書いてもそういった人たちから受け入れられずに、鋭い批評を受けまくり、いつしかすっかり心が折れてしまった。
 
 本格的なSFについては、つねに科学技術や物理学の法則との整合性や、過去にあった作品とバッティングしないなど考えなくていけなくて、それらのこととを考えている内に、いつしか深い自己撞着に陥ってしまって抜けられなくなり、ついにはSF自体書けなくなってしまった。 
 
 それは、次に挑戦した推理小説やホラーや、歴史物に取り組んだときも、同じ経過をたどり、どの分野も一見さんお断りといったムードにぶつかってはじき返されて、まるでジョブホッパーのように、いろいろな分野に顔を出してはフェイドアウトを繰り返すことになった。

 その果てに、どこにも属さない分野、というのかどれにも当てはまる、児童文学という世界に流れ着いてしまった。
 
 子供向けなのか、子供から読める作品では、少々意味として変わってしまうけれど、どちらにしてもあまりかっちした枠組みやルールのようなものがなくて、とても自由度が広い世界だった。
 
 子供たちが喜んでくれれば、クレヨンが突然しゃべっても、あんパンが人助けをするために空を飛んでも良い。そこにはかっちりした物理法則も、科学技術も必要ない。
  
 と同時に、SFを書いていたときによく思ったのは、あまりにも哲学的で、カチッと作り込んだSFやミステリーというのは、あまり映像化に向かないかもしれないということ。
 
 自分が好きなSF映画、「惑星ソラリス」や「スタートレック」だけでも、よくよく考えてみれば映像作品としては難解に出来ている。
 それが良さでもあるが、よくぞ世界的にヒットしたと思うぐらいに、一般受けしなさそうな深い内容を持っている。
 
 映画の脚本を実際によく読むと、実写化されたSFとか、ホラーやスリラーなどは、シナリオの構成は、とてもシンプルなものが多い。スターウォーズだって、ストーリーだけ追えば、単純明快な勧善懲悪の善と悪の戦いで、音楽や画像の力を借りて壮大で深遠そうに見せているだけに見える(こう言うと怒られそうだけど)。
 
 原作がある小説の映像化に当たって、三分の一でも、うまく映像化に盛り込めれば、かなりの成功のような気がする。
 それだけ、小説というものの情報量は多いともいえる。だから、映像化に当たって、原作者と映像化サイドと製作側ともめがちになる。最初からすりあわせなど、無理なことなのだ。
 
 たとえばワンピースの映画も、あれだけ原作の漫画にあれこれと伏線やらキャラクターを描き込んであるのに慣れると、尾田さん自らが映画用の脚本を書いても、どこかあっさりして、物足りない感じが出てくるのも、ある意味しょうがない気がする。
 
 話はもどって、小説の分野は情報量が多い分、深く読み込むと、どうしてもどこかアラが出てきてしまう。そして、アラがない小説は、この世には存在しない。不思議なことに、アラが少ない小説が名作とも限らない。
 
 逆に映像化された作品を、逆にノベライズされたものを読むと、案外がっかりさせられることも多い。アラが目立ってしまう。
 残念ながらガンダム系の小説は、なんとなくその傾向が強い気がする(富野由悠季監督は天才だと思っていますが)。
 
 それは、その昔Ζガンダムの小説版を読んだときに強く思ったのがきっかけになっている。
 一方、「ナウシカ」や「天空の城ラピュタ」も、ノベライズされた時点で、せっかくの映画で感じたわくわく感がはるかかなたに遠ざかっていく。  
 言うのは簡単だけれど、ほんとうに映像で深い物語を作り出すのは難しそうだ。
 
 映画自体にいろいろ描き込みすぎると、どうしても解説本が必要になりそうなエヴァンゲリオン化してしまう。 
 もちろん、映画と小説のどちらが上というものではないが、小説と映画のどちらもとびっきり秀逸というのは、かなり少ない気がする。
 
 その中で、両立していそうなのを何となく思い浮かべると、「老人と海」や、「誰がために鐘が鳴る」のような、一連のヘミングウエイ作品。最近では、村上春樹の複数の作品を、あれこれ組み合わせてできた「ドライブ・マイ・カーといった感じ。
 ムーミンでさえ、小説とアニメではまるっきり別のものに仕上がっている。
 
 ところで、小説で描写のシーンを書く人は、具体的な映像を頭に浮かべながら書く人がいる一方で、自分がそうだが、逆にまずあらすじだけさらさら書いて、あとから人物や場面描写を書き加えていく人もいるらしい。
 
 たぶん、これもどちらが正しいのかはわからない。おそらく正解もないだろうけれど・・・。
 映像と小説の関係は、宇宙世紀の流れ以上に難しい。

 〝 ガンダムと ともに育って うん十年 〟

仲村比呂
小説家
主に小さい子から読める物語を作っています。文学は最強です。

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