人に勧められて、アマゾンプライムで見た。
もともとヴィム・ヴェンダース監督作品が好きで、つねに新作を追ってきたはずなのに、今回はカンヌ国際映画祭で賞を取って話題になるまで、まったくノーマークだった。
なにしろ寡作の人なので・・・ただの言い訳か。
監督本人も話しているとおり、このヴィム・ヴェンダース監督、大の日本好きで、小津安二郎作品をとても愛してらっしゃる。
過去には、故山本寛斎さんのように、日本の実在の人物を主人公にした作品もあったほど。
そして、今回の「パーフェクトデイズ」。
さすが話題作ともあって面白かった。感想はそれだけかと言われれば、本当にその一言につきる。映画に限らず、小説も漫画も感想って、いいものの感想って、結局はこの言葉にいきつく気がする。
この映画、もともとはトイレ関係のプロジェクトをきっかけに始まったというが、それを元に監督は、日本の僧侶の生活をイメージして作品を膨らませていったという。
なるほど、その経緯を知ってしまうと、仏教好きな自分の血が騒ぐ。おそらくモデルとなった僧の姿というのは、僧は僧でも真言系や浄土系ではなく、禅僧のことを指しているのだろう。
主人公のトイレ掃除の仕方や取り組み方を見ると、まさに禅僧の日々の作務そのものだ。
ただ、「面白かった」だけでは、ただの呟きに過ぎず、Xで呟くだけで充分でブログにならないので、あえて、好きな監督作品だからこそ、目についた点をあえて書かせてもらおうと思う。
簡単に言えば、ああもったいないあなと思ったところ。
一つ目は、トイレ掃除の死後のローテーションで組んでいるアルバイトが急に抜けたために、自分のシフトがきつくなり、携帯電話で雇い主に対して、忙しくなる代わりを早く入れろと怒鳴るシーン。
二つ目は、毎日仕事が終わると銭湯に行き、その後地下街の入り口にある一杯飲み屋で夕食をとっているのに、一週間に一度程度、自分へのご褒美? 憧れている?上品な女将さん(石川さゆり)がいる、見るからに高そうな小料理店に行くところ。
そして、三つ目は、その女将さんの元旦那(三浦友和)が、親しそうにしている現場を見てしまい、慌てて店を後にするが、なぜかその元旦那が追いついてきて後を託すと言われ、一緒に影踏み遊びをするところ。
もし、自分だったら、この三つのシーンは入れずに、淡々とした日常の繰り返しを、少しずつ重奏感を深めていく、音楽で言えばラベルの「ボレロ」のような感じにしたと思う。
代わりに公園で踊る、田中泯のシーンをもっと多くする。
この三つのいらないエピソード(本来は短編映画だったようで)のおかげで、せっかくのボレロの主旋律が、途中から変調してしまったような感じを受けた。
多くの映画評では、「足を知る」といった美点をあげているが、そのことにまったく異論はないけれど、その「足る」のラインの決め方が、この三つのせいで、かなりぶれてしまっているのが残念だ。
と、映画の専門家でもなく、巷の三文文士が、巨匠ヴィム・ヴェンダース監督様にけちを付けるなんておこがましいけれど、監督の他の作品「ベルリンの天使の詩」や、「ブエナビスタ・ソシアルクラブ」などに感動してきた自分としては、大好きな監督だけに、どうしても見る目が厳しくなってしまう。
いつしかベルトリッチ監督や、黒澤明、そして小津安二郎のような自分にとっての大巨匠の仲間入りにして欲しいという願い込めて。
あと、最後に言わせてもらえれば、あんなおしゃれなトイレ、東京のそれも、世田谷あたりしか存在しないと思う!
と、強く言いたい(少なくとも名古屋にはない)。
ともかく、この映画は、最後の役所広司がする泣き笑いの、どアップのシーンの表情が、ストーリーのすべてを象徴し、物語り、凝縮されている。
それを観るだけでも映画を見るかいがあるし、自分も思わずもらい泣きしそうになった。
しかし、あの涙は、ある程度歳を重ねた人にしかわからないかもしれない。
そしてその涙が多いほど、他人より少し哀しい人生を歩んできた人のような気がする。
〝 映画とは 次から次へと 観たくなり 〟