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10月4日(日記)野草を知りたくなった

最近、朝の連ドラに影響を受けたわけではないが、散歩していて、そこらに何気なく生えている野草が気になるようになってきた。どういう名前で、整体は、食べれるのか、薬効があるのかその正体を知りたくなったのだ。

ただ、その昔、近所の草刈りをやっていたときにかぶれてしまい。入院する瀬戸際までひどくなった経験があり、それ以来野草というのが、触るだけではなく、見るのも苦手になった。
 
野草というのは、考えてみればかわいそうな存在で、野草という呼び名なら、まだましな方で、雑草の一言でかたづけられることも多い。当然ながら、そんな雑草と呼ばれる草にもちゃんと名前が付いているし、学名も存在する。

聞くところによると、江戸時代より以前は、野草は食べられるものか、または毒になるものにしか名前が付けられていなかったという。

おそらく、長い歴史を経て、愛でるに値する野草は、いわゆる「花」に昇格し、薬や漢方になるものは、「薬草」になっていき、食べれるものは、「野菜」として、別の価値を持たされていったのだろう。

そして、その他の、人間には何の役に立たない野草たちは一括りにされて、庭や野菜を荒らす邪魔者として、「雑草」扱いにされてしまった。

しかし、歳のせいか、自分という存在が実感として、価値ある「花」どころか、「薬草」ではなく、ただの雑草だとわかってくる。

そうした思いが募っていき、ひょっとして名も無き野草に関心を持つきっかけになったのかもしれない。たぶん、どこか自分を投影してしまうのだ。

ともかく、植物辞典が欲しくなって(スマートフォンのアプリもあるけれど有料、高い・・・なぜ?)、アマゾンで検索したら、これも案外と高価。

それに、すぐに興味がなくなる恐れもあって、古本屋に行って適当な価格の本を買ってきた。

その本はまさに、辞典と名が付いているとおり、広辞苑のように分厚くて、ほとんどの野草が網羅されていた(ように見えた)。

しかし、載っている写真が古くてほとんど昭和に撮影されたものがたまに傷だった。

そして、早速、翌日の散歩の途中で目に付いた野草を、スマートフォンで取って、家に帰り、この辞典をうきうきと広げてみると、なぜか急に指先がもぞがゆくなってくる。

さらにページをめくるにつれてひどくなり、ついには腕中がちくちく、むずむずとかゆくなってきた。かゆみの人一倍敏感な私は、すぐに、その本が原因だと思い至った。

その図鑑は、何かのダニのようなものにまみれていたのである。たちまち、幼き頃野草でかぶれたことを思い出し、悲鳴を上げそうになった。まさか、再び野草(本だけど)にやられるとは・・・・。

すぐにネットで調べると、その対処には、日干しにしたり、袋に入れて、ダニ駆除の液体を垂らしたりと、いろいろな方策があるらしいが、どうしても、その本を蘇らせるべく、もう一度その辞典に手に触れる気が起きなかった。再び、古本屋に逆戻り。

というわけで、野草の名前は未だに一つも覚えていない。
 
秋空に 意識も溶けゆく 秋の風

仲村比呂
小説家
主に小さい子から読める物語を作っています。文学は最強です。

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