とても読みたいけれど、有料だから全部は読めていない人のNoteってあると思いますが、その筆頭の方が私にとっては、吉本ばななさんです。
吉本ばななさんの、小説はだいたい読んできました(全部と言いたいところですが・・・最近は・・・ごめんなさい)。
小説のほかにも、エッセイや対談(特に河合隼雄さんとの対談である、『なるほどの対話』)もすごいと思っています。
というのも、どのプロと呼ばれる作家もそうですが、吉本さんの文章って、必ずどこかに、これは吉本ばななさんしか書けない、吉本節というものがあるんですよね。
文章なのに、頭で理解するよりも、先に体感が来てしまうといったような。
うまくこのニュアンスが伝えられないですが、いい写真や絵を見た時のような感覚に近いかもしれません。(父親の隆明さんの文章とはある意味真逆)。
その後、じわじわと言葉の意味が伝わってくる。
これは、お世辞でも何でもなく、その一節だけが、本を開いた瞬間、光って見えるんですよね(本当に)。それだけで、お金を払ってもいいとさえ思えるような。
私も、そういった一節が書けるようになりたいと日々努力しているんですが、まあ難しい。それができれば、とうの昔に、専業のプロになっているわけですが。
そして、実感が先に来る文章を書ける人って、俳人、詩人だったちらほらといますが(たとえば、尾崎放哉の「咳をしても一人」など)。
小説家としてあまり多くない気がします。特に最近の小説には。強いて上げれば、初期の頃の村上春樹さんの文章ぐらいかな。
そして、最近無料で公開された吉本さんの記事を読んで気になる一節がありました。
職業にするほどのスキルで作ったものを無償で提供したら、一瞬は得に思えても、受け取った人の精神を害することがあるという真実
そして、だからこそ「対価」というものがあると。
これもすぐに、体感としてああ、いいこと言っているなとわかったんですが、本質を掴めるまで、少しタイムラグがありました。
もちろん、続けて書かれた内容を読めばわかるんですが、「対価」は、人それぞれでの感覚であり、自分で選び、考えるということですが、よく読めば、実はなかなか普通の人では言えない、すさまじいフレーズだと思います。
「精神を害することがある」。
この境地に達することこそが、文章(吉本さんのばあいは特に小説)を生業にしている人の覚悟と、自負の現れだと思いました。
ふだん、Noteの記事を無料で書き殴っている私ですが、とうていそんな境地に達することもなく、Noteの記事を、有料で公開する度胸どころか、自負も、スキルもありません。そういった意味ではまだまだ、ですね。
それでは、いったい、受け手の何を害してしまうのか、それはどんな害なのか、文章を生業とする人だけではなく、何かのプロフェッショナルを名乗ろう思う人は、そこまで考えると、その深い意味がじわじわとわかってくると思います。
自分が産みだしたものの「対価」。
難しいですね。
ではまた