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12月28日(日記)腕時計生活の復活

数十年ぶりに腕時計をはめて外に出るようになった。これまで、ずっとスマホで済ましていたが、時刻を確認したついでに、ついメールやLINEを見るなど余計なことをして、おまけに、その流れでヤフーニュースなど見始めるなど、すっかりスマホ依存になっているのに気づいたからだ。

これまで、スケジュール管理やメモや写真、原稿の下書きなど、できることはすべて、全部スマホに集約していたのだが、そして、それを効率が良くて、格好いいことだと思っていた。

ある日、電車に乗ったとき、乗客の全員がスマホをまじまじと見入っている景色を見て、自分もこの一人かと思ったら急に嫌になった。へそ曲がりのところがあるせいか、スマホって必要か?と急転直下。

さしあたり、一日の大半はスマホの電源を切ることした。すると、気持ちが自由になって軽くなった。スマホに依存していただけではなく、スマホに、いやスマホにもたらす「情報」に縛られていたのだ。

最初は不安だった。何かの誘いや、とっておきの話題などの「いい話」や、家族の事故などの「悪い話」を逃しているのではないかと。

しかし、これもしばらくして気づいた。いい話なんてほとんどない。悪い話もめったにない。勝手に「情報」がないことに、不安がっているだけだと。

スマホの電源を切るのはいいが、時間がわからない、それは困るというわけで、腕時計復活となった。

しかし、家にあった腕時計は電池切れで全部止まっていた。とりあえず、しばらくはめそうな時計を復活させたら、急に他の腕時計達も可哀想になってきて、すべてを復活。時計屋さんからは、電池切れをほっておくと、時計自体だめになるよと小言を言われた。

さしあたりの腕時計生活復活だが、そのうち腕時計すらいらないと思い始めるかもしれない。「時間からの自由」・・・無理か。

年の瀬に 仕事とともに 走り抜け

仲村比呂
小説家
主に小さい子から読める物語を作っています。文学は最強です。

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