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どこまで行っても陰謀論

最近、YouTubeや飲み会などの場で「陰謀論」を持ち出す人が多くなりました。やれ、ロックフェラー家、ロスチャイルド家などのユダヤ資本による世界支配や通貨発行権の独占、GHQの洗脳論や、有名人CIAスパイ説、Qアノンに、イルミナティ、薔薇十字結社等々。

そういった話を、ただ聞いている分には面白いんですが、「はあ、そう、へえ、でも結局、だから・・・」となってしまいます。

ひょっとしたら、その内の一つぐらいは真実かもしれませんが、それが真実だとして、「現実的に何が出来るの?」と、意気揚々と飲み会の場で語っている相手に問いかけると、そこで話がだいたい終わってしまいます。つまり、それは、しょせんはただの想像、空想の物語だからなのでしょう。

時々、酔いが覚めたように、場の誰かが「民主主義だから選挙に行くしかない」とポツンと言います。

つまり、いくら陰謀論を知ったところで、庶民の自分たちには、間違っているかもしれない、この世界のシステムを変える術がないのです。

その選挙ですら、「不正」が行われているという陰謀論があるぐらいです。そして、その不正も確かめる術がありません。

世界システム的な陰謀論に対する不満というのは、少し喩えが悪いかもしれませんが、B29爆撃機に向かって地上から竹やりを突き刺そうとしているようなものかもしれません(投擲のオリンピック選手でしたら、一本ぐらい当てられるかもしれませんが)。

いくら、B29爆撃機の詳細な性能や、すごさや恐ろしさを知っても、それに現実的に対抗できなければ無意味な知識だということです。

それでは、もし、巷の陰謀論が正しいとして、そういった不合理な世界のシステムに、ただ黙って耐えるしかないのでしょうか。

人によっては、SNSやビッグデータ活用のAIによる、デジタル民主主義にその可能性があると主張する人もいます。それぞれ一人一人がSNSで声を上げていけば、みんなの意識が変わる、世界を変える民意が出来上がる。新しい決定手段がいつか自ずから作られると。

しかし、その民意ですらすでに操られ、利用されている可能性がある(星新一さんの短編にもありましたね)という陰謀論もあります。正しい戦い方、それは、世の中に正しい戦争がないのと同じで、結果として自らを殺す行為に繋がるかもしれないのです。

再び問います。それで、だったら、どうすれば・・・。いいのでしょう?

「世捨て人となってすべてを諦める」。「そんなありもしない物語は相手にせず、パンとサーカスの生活を満喫して、暮らしを充実させることだけを考える」。「何かの宗教や教義をもって宗教革命を起こす」。「主義を信じて武力蜂起する」。「世界連邦を樹立する」。「アナーキストになって世界を滅ぼす」。「地の果てまで逃げる」様々な、手段(これらはただの例です)や考え方があります。それらも、陰謀論に対する一つの態度表明でしょう。

しかし、結局はそれらも、しょせん何かの陰謀論、つまりは何かの新しい支配システムに行き着くための手段にすぎません。

つまり、何がいいたいかと言うと、人が何かを行動を起こすという決意した時点で、何かの陰謀論(物語)に乗っけられて、利用されているかもしれないということです。

自分の理想はそんな曖昧なものではない。確固たる思想も信念も根拠もある。これは絶対に正論だ。これに耳を傾けない者はみんな馬鹿者だ。一切の矛盾などなく、悪を打ち破る善なる剣だ。

そう頭から思い込むのではなく、「ああ、自分がやっていることも、しょせんは一つの陰謀論かもしれない」と、まずは自覚することからすべては始まるような気がします。

おバカな喩えで恐縮ですが、相手がB29爆撃機で来るなら、竹槍でも同じB29爆撃機でもなく、そっちがそう来るなら、こちらはニュータイプが操るユニコーンガンダムで完膚なきまでに叩き落とそう。

それぐらいの発想と力の差でないと、既存の陰謀論には絶対に勝てないし、システムを変えられないと思います。

もちろん、それで勝ったとしても、もっと息苦しい世界になったり、格差が広がったり、人類が滅びてしまっては元も子もありませんが。

ではまた

仲村比呂
小説家
主に小さい子から読める物語を作っています。文学は最強です。

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