晴れ
円頓寺商店街の「パリ祭」をぶらつく。けっこう多くの人出。
人混みが嫌いなわりに、賑わいが好きな私。
とにかく、賑わっていてよかった。パリって言葉には、なぜか、アコーディオンの音色がよく似合う。
下手でも詩を書いているのは、ニーチェが求めた哲学的直感が欲しいから。ひょいっと、論理の果てを乗り越えれるような。
ひょっとして、自分はニュータイプになりたいのかもしれない・・・。
だいたい毎日、気持ちが弱っていることが多いので、そんなとき読むのはやはり、やさしい詩(俳句も含みます)。
まるで、足りない栄養素を身体が欲するように、やさしい言葉を求めて、つい食べすぎてしまう。それはまるで、辞められないポテトチップス。
詩そのもので言うと、宮沢賢治、八木重吉、谷郁雄さんや、短歌で言うと、吉野秀雄、若山牧水、自由律俳句で言うなら、種田山頭火、尾崎放哉。
もちろん、彼らは自分の作品を「やさしい」で一括りにされるのは、嫌だろうけど、やはり、ものの見方や、その捉え方、そして表し方が、結果として、「やさしい」ものになる。
それって、決して「やさしい」イコール「単純」ではないし、もちろん「かんたん」でもない。
己の絶望や、悲哀や苦しみに耐えて、呻吟して、かつ味わい尽くして、そこから漏れるため息や、祈りの言葉が、本当に「やさしい」のだ。キリストの言葉が、やはり厳しさにあってやさしいように。
僕 が『 詩 と メルヘン』 を つくっ て いる 時 に 心掛け て い た のは、 世の中 に 害毒 を 流し ては いけ ない という こと と、 見た目 が 汚く ない こと。 汚らしい もの の 中 にも、 芸術 は ある。 もちろん、 その 考え は それ で いい と 思い ます が、 僕 は そう じゃ ない ほう を 選ん だ。(やなせ たかし. 何のために生まれてきたの? PHP出版)
「いろいろあったけれど、結果として、やさしい言葉を吐ける人間」、そういう人に、私はなりたい(宮沢賢治ふう)。
人混みに 紛れて咲くか 返り花