少し遅く(2ヶ月前)なってしまったけど、先日愛知県立美術館で開催されたパウル=クレー展を見てきました。
自分としては、西洋画家の中では、パウル=クレーが一番好きかもしれない。そして、クレーの素晴らしさを知ったきっかけは詩人の谷川俊太郎。
過去の展覧会も行ける範囲は欠かさず行って、行く前には絶対に買わないと誓っていても、見た後に勢い余って衝動買いしてしまった画集が、その証拠品のように何冊も家の中にある。
2005年にスイスのベルンという町に、クレーの4000千点あまりの所蔵を誇る美術館(ほんとうに素晴らしいらしい)ができたというニュースを知ったときには、すぐにでも飛行機に乗って行きたいと思ったほどだった。
では、パウルクレーのどこが好きか?と聞かれると、当然ながら一言で答えるのは難しいけれど、バカみたいな答えで恐縮だが「ふわっとしたやさしさとユーモア」があるところ。
彼の描いた作品は、悲惨な戦争や戦いをモチーフにしていても、どこかやわらかさを感じさせる。
自分も、絵本の原作や童話を書くとときに、今日は気がすさんでいるなという自覚があるときや、少し嫌なことがあって猛々しい気持ちのときなど、前述したパウル・クレーの画集を開くようにしている。
そして、自らの気持ちを、童話を書くことができるやさしい気持ちに持って行く。ちなみに、似たような役割を果たしているのが、猫が主人公のアニメ映画の「銀河鉄道の夜」(細野晴臣さんのサントラも素晴らしい)。
これらをちらっと見たるだけで、あっという間にすさんだ気持ちがらっとを変えてくれる。意識を想像の世界に飛ばしてくれる。
イメージが次々と膨らんでいき、創作意欲が高まっていく。
西洋絵画にある、何とか派とか何々主義とかの、分野わけというのは、こと文学に限ったことではなく、あまり好きじゃないが、 それなりの少ない知識を総動員すると、パウルクレーの作品は、表現主義プラスキュビズムプラス、ダダイズム、プラス。そこに何よりも、とっておきの隠し味である「詩心」(勝手に付け足し)が合わさったような作品のような気がする。
そして、その中でとくに大切なのが、その「詩心」。
言い換えると絵に「詩」を感じさせる。それが一番大きい気がする。
たしか、谷川俊太郎さんも、詩を書くとき、パウル=クレーの画集をよく見るとおっしゃっていた。
しかし、なぜそれほど好きなのに、美術展が終わってかなり時間がたって、この記事を書いたのか。
それには少々理由があって、今回の展覧会は、もちろん全体として良かったけれど、自分が好きな晩年の天使に関する作品が少なかったこと(予算の都合かな)。
やはり、パウル=クレーは晩年に近い作品の方が、より、詩に近く、透明度が増しているような気がして好きだ。
パウル=クレーの習作の作品もなかなかいいが、やはり60歳の死に近づくほどに、その天使シリーズの作品も重みと軽さをともに携えてすごさを増していく。
自分も、あの天使シリーズを見ていると、人にあんなふうに感じられる作品をつくれたらいいなあと、いつも思ってしまう。
自分の内面と、表現が一体化した澄み切った心境。それをシンプルな文章と、誰も傷つけない内容。やさしさとユーモアに包まれた作品。
そして、天使のような題材を選んでも、決してチープではないもの。
パウルクレーの天使の絵をじっと見ていると、描かれた天使が、まるで自分のための降りてきてくれたように感じてくる。
たぶん、パウル=クレーの作品が好きな人は、こうしたやさしい気持ちになりたくなる人が多いのだと思う。そして、いたたまれないぐらいに繊細で孤独な人。
もちろん、絵に対して、ある種の念が籠もったような、岡本太郎や、ゴッホや、ダリなどの作品で、日々思いっきり生命の熱を感じたい人もいるだろうが、自分はもしお金があれば、自分の家には、いの一番にパウル=クレーの絵を飾りたいなあと思う。
ただ、高すぎてレプリカすら買えないけれど・・・。
〝 パウルクレー 死に近づきながら 天使へと 〝