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ひどい蕁麻疹でわかったこと

過去、二回ほど激しいじんましんが出来たことことがある。
一回は、高校の受験校選びのとき、二回目は、大学を辞めようか迷ったとき。

一ヶ月ほど死ぬほど悩んだ。すると、ある日ポツポツとした吹き出物が出てきたと思ったら、日に日にその面積が広がっていき、あっという間に全身に広がっていった。

小学生のとき、二回ほどキャンプに行ってひどくかぶれた(肌が弱い)ことがあって、それ以来、かゆみ恐怖症になっていたので、その広がっていく様子は、まさに恐怖でしかなかった。

当時、中学三年生だった私は、ついに我慢できなくなって皮膚科に行ったら、「そういうのは、心療内科だよ」と言われた。そのまま、かゆみを抑える塗り薬を処方してもらって帰ってきたのだが、その結果を聞いた母親も「?」だった。

結局、心療内科には行かずに、そのまま悶々と悩んだ結果、えいやっと受験校を決めたのだが、決めた翌日、嘘みたいに全身のじんましんが消えていた。それはまるで、一夜にして奇跡が起きたかのようだった。

そして、二回目の大学のときも、医者に言ったら、「じんましんって、実は医学上でもよくわかっていなくて、私の見解では、じんましんというのは悩みから出る。つまり、言語化できないもやもやが皮膚から吹き出ると思っているんですよ」と、これまたのんきな感じで言われた。

そのときは、結果を話す相手もいなかったので、独りでその意味を考えていたが、その後、これまた大学について結論を出したら、中学生のときと同じく、すっとすべてが消えさっていた。そして、このときかつて二人の医者に言われたことが理解できた。

つまり言語化とは、言葉や論理をもって自分を納得させ、自分の中のもやもやした気持ちをすっきりさせること。それができないから身体に出てしまう。病気になると言いたかったのだと。

誰かのエッセイで、医者から「あなたは空っぽの状態です。よかったですね」と言われて激怒したという話があったが、実はそれは褒め言葉で、悩みがない健康な人というのは、気持ちが透明で、軽やか、つまり「空」のような状態をさすことだとわかって、医者に謝罪したという話があったが、それに通じるところがある。

それから、ふいに訪れる体調不良は、外に原因を探すのではなく、まず内から探すようになった。とにかく抱いているもやもやを自分の中で言語化を試みようと。

そして、「自分にわからせて、空っぽにする」それだけを、心がけるようになったら、いくらひどい悩みが来ても、じんましんの予兆が来なくなった(あくまで自己流です)。

と、言っても「自分にわからせる」。この作業の難しさは、昔も今も変わらない(問題も大きくなる)。ただ年を取ればいいってものでなく、お酒や、人に頼っても、この意識のもやもやを、ひととき忘れられるだけに過ぎない。

そうなると最後の最後は、自分なりの「わからせ方」を、少しずつつトライ・アンド・エラーを重ねながら、作りあげていくしかないのかもしれない。

ではまた

仲村比呂
小説家
主に小さい子から読める物語を作っています。文学は最強です。

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