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1月14日(日記)友情の捨て方


不動産巡りをするも、いい物件がなく、あるペットショップで一目惚れした黒柴購入計画は白紙へ。
かっ、悲しい。

最近、久しぶり会う友達(知り合い)と飲んだりすると、会話が噛み合わなくることに気づく。仲が良かっただけに、「おまえ、何言ってんの?」という表情の変化が、瞬時にわかってしまう。
その後、何となく話は続けるが、昔のような親愛の通奏低音的なものがなくなっている。
「おまえ、変わったなあ」と、お互い心の内で思っている。そう思い出したら最後、友情というのはあっけなく崩れていく。

昔は、たとえ数年間の時間が開いても、少し共通の思い出話でも持ち出せば、すぐに元の関係に戻れたが、それも効かなくなってきていいる。どちらかが忘れていることも多くなった。大切な記憶を忘れられること、その失望感たるや、すさまじいものがある。怒りに変わることもある。

お互い家庭を持ち、生き方考え方も変わり、おまけにこのコロナ。コロナは感染症の概念を変えたかもしれないが、人との接し方をも変えてしまったようだ。

たぶん、どんなに多くの仲間に囲まれていて、俺は一人じゃないと思っていても、自分の人生が確立されればされるほど孤独になる。友情は、懐かしさに変わっていく。

断捨離とは、物はだけではなく、友情という精神的なものも含まれている。しかし、それが精神的なものであるが故、捨てるのが難しい。「友情の捨て方」案外みんな知らないのではないだろうか。

いっそ、素直に喧嘩できたら楽だ。喧嘩して仲違いするのは簡単だ。つながってはいるが、友情がいつしか懐かしさだけになっていた場合、これを捨てるのはかなりの困難を伴う。

しかし、今回の飲み会で、このまま会っても残念な気持ちを引きずるぐらいなら、いっそ友情を捨ててしまった方がいい。そして、かつて仲が良かったときの思い出だけを大切にしていこうと思った。

「最後は、ペットか」。そんな気持ちが黒柴一目惚れした根底にあるのかもしれない。

友情も 冷え冷えさせるか 冬の雨

仲村比呂
小説家
主に小さい子から読める物語を作っています。文学は最強です。

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