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12月2日(日記)バッティングセンターで、うぬぼれ理論を実践する

晴れ

近所のバッティングセンターに寄る。
ここは、新しい施設のわりに、いつ行っても空いている。60キロから、130キロ、左投手、好きな打席がいつでも選びたい放題。

だいたい、人がいる時も、いない時も、一番難しい打席を選ぶ。そして、置いてあるバットも長い方を選ぶ(ホームランが出やすい)。というのは、自分は「ええかっこしい」、だからだ。

人がいない時はいいじゃないと思われるかもしれないが、自分自身に対しても、つい見栄を張ってしまう。
「おれは、これぐらいの球を簡単に打てないとだめだ。バッティングセンターに来る資格はない」と、一人勝手に思い込んでしまう。その結果、前述のような行動を取ることになる。

この、自分に対しての「ええかっこしい」癖は、バッティングセンターだけに発揮されるのではなく、すべてのことに対しても同じである。勉強も、なぜか中学生のときは、「東大じゃないと意味がない」、小説を書き始めたときは、根拠なく「ノーベル文学賞」。なぜか、何か始めようとすると、その分野の最高峰を目指してしまう。それも飛び抜けた。

いつしかそれは、自分の中で「うぬぼれ」理論(別名、大は小を兼ねる理論ともいう)として完成した。

もちろん、東大には行けなかったし、ご存じのとおりノーベル文学賞は手に入っていない。

しかし、何となく自分の能力以上の結果は手に入った気がする。130キロのボールを打っていたら、80キロのボールをいとも簡単に打てるようになったのと同じように。

しかし、この理論の最大の欠点は、せっかく手に入ったものに満足できずに、つねに「不満」が残ることだ。不満は人を決して幸せにしない。

それでも、いくら年を重ねても、バッティングセンターでは「剛速球をホームラン」する姿をつい追い求めてしまう。人が見ていればなおさらだ。しかし、まったくもって迷惑な癖だ。スターでもあるまいし。

狭き店 厚き外套 もて余し

仲村比呂
小説家
主に小さい子から読める物語を作っています。文学は最強です。

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