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11月25日(日記)脳内で旅行して満足する

晴れ

素晴らしい秋の昼下がり、noteで、誰かの旅行記を読む。
読んでいる内に、「ああ、旅に行きたいなあ」と思う。
宮沢賢治を巡る旅。奥の細道を辿る道。京都の禅寺巡り等々。

芭蕉翁の「夢は枯れ野を駆け巡る」ではないが、思いだけが旅先を駆け巡る。グーグルアースでルート検索。

いろいろ見ているうちに、それだけで満足してしまう。つい行った気になってしまう。
そもそも、旅行は好きだが、段取りをつけるのが面倒くさい。旅好きに言わせると、それも楽しいと言うのだが、やはり、どこまで行ってもやはり面倒くさい。その時点で、旅好きを名乗る資格はないのだけれど、かといってツアー観光はもっと嫌い。

結局、ベランダでほったらかしになっているオリーブの葉を見ながら、再び「思い」だけが、旅先を駆け巡る。しかし、ふと気づいた。昔に比べて、その「思い」に妙なリアルさが加わっていることを。

あくまで想像でしかないのに、グーグルアースで見た景色に、やがて本当に音が聞こえ始め、匂いを感じ、空気の肌触りまで感じ取れる。そんな自分に自分で驚く。

それは、きっと昔行ったあちこちの旅行の記憶と、年を重ねた五感の深みが加わって、自然に脳内バーチャルリアリティが発生するようになっていたのだ。それがわかって、一人でクスクスと笑う。行ったことがない場所でもそうできるなら、一度行ったところなら、なおさらだ。

これなら、この円安のご時世、ハワイもニューヨークも、バリに行かなくてもオッケーだ。旅行代も浮く。そして、そうだ、いつか身体が動かなくなって寝たきりになったら、こうやって世界中を旅をしよう。
しかし、残念なことに、今はどれだけ集中しても三分しかもたない。遠くの異国を、思えば思うほとその時間は短くなる。

ひょっとして、ウルトラマンというのは、どこかの世界にいる異星人が、思いというより、念を飛ばして、この地球にやってきていたのではないか。だから、3分しかもたないんだ。と、変な仮説を打ち立てる。

結局、気持ちが良い秋の午後の「思い」は、旅からウルトラマンの仮説に移り、やがて静かな午睡の中に消えていく・・・完。

昼下がり 眠っているときは 神の留守 

仲村比呂
小説家
主に小さい子から読める物語を作っています。文学は最強です。

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