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11月21日(日記)法律は文学かもしれない

朝方久しぶりの雨

法律関係の仕事をしていたとき、いつもこう思っていた。
「訴える、訴えられる、捕まる捕まらないなど、法律に可能な限り関係しないで人生を全う出来きる人が、一番幸せかもしれない」と。

法律は強い。道徳に強制力を持たせたようなものだから。
もちろん身を守る盾にも使えるが、時には相手を突き刺す矛にもできる。

法律弱者に対して、得意がってとっきんとっきんに磨き上げた矛を振り回す人を何人も見てきた。そういった矛に突き刺されて再起不能になる人を何人も出会ってきた。

そこには、文学的な要素はまったくない。向かってくる矛に対して、「カラマーゾフの兄弟」も、「ユリシーズ」も、「戦争と平和」も、何の役にも立たない。

しかし、矛を振り回す人は、より強い矛の前に必ず倒されていく。そのむなしさを謳うこと。同時に、突き刺されて再起不能になった者が、再び立ち上がろうとする時、文学は唯一の助けとなる。

法律の条文は無味乾燥で、つまらないと思われがちだが、法曹家の中には、そこに「詩」を感じ取る人がいる。そこには、極限まで削り取られた、人の情念や、感情、希望や、絶望、祈りさえが、込められているというのだ。

そして、出会った一流の法曹家のほとんどは、まず間違いなくそういった法文に「詩」を感じられる人たちだった。つまり、矛と盾を捨て、詩心で戦える人、つまり言葉を大事にし、その重さがわかる人。

そういう意味で、法律と文学は限りなく近づいていく。法律は文学かもしれない。ふとそう思う。

落ち葉踏み 踏まれた気持ちを 思い出す

仲村比呂
小説家
主に小さい子から読める物語を作っています。文学は最強です。

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