小さい頃、紅葉の美しさが正直言ってわかりませんでした。どこがいったいきれいなのかさっぱり理解できなかったのです。その思いは、案外大きくなるまで続きました。
紅葉とは科学的に言えば色素が抜けることらしいですが、人間で言えば、老人期となった葉っぱです。当然と言えば当然ですが、子供心にそれを見てきれいだなあとはなかなか思えないのも確かです。小学生がしみじみと紅葉に魅入るという図柄もあまり見かけませんし。
しかし、次第に年を重ね、いろんな経験を積むと、しだいに紅葉にはっとするような美しさを感じるようになりました。
ただし、それもつかの間、さらに年を取ると、山全体が、黄色や赤色、橙色に彩られた山々を見たとき、美しいというよりも先に、ただ哀しみを覚えるようになっていきました。
そんなときに、親しい人の死に何人か立て続けに会って、哀しく扇情的な音楽を聴けなくなりました。悲しいメロディがまったく受け付けられなかったのです。
しかし、時が経て悲しみも癒され、そうした哀しいメロディも聴けるようになった頃から、不思議なことに、再び紅葉を美しいと思えるようになったのです。
それはきっと、人は生きること自体に逃れられない哀しみをともない、そして哀しみがあるからこそ、楽しさも喜びがあるのだといつの間にか理解したのかもしれません。
それは桜が散るときの哀しさにも通じるものです。一枚の葉や一枚の桜の花びらが散るような哀しさ。
そういった自然の移り変わりの哀しさを、自分の人生の哀しさを併せて味わうことこそ、紅葉を味わう醍醐味なのだと知ったのです。
一説によると、紅葉を見ることを「狩り」と言い出したのは、その昔、平安貴族が紅葉した木の枝を切って(刈って)、家の中で愛でているのが流行り、「 刈り」が「狩り」になったというのが始まりのようです。
しかし、紅葉狩りが一般民衆に広まったのは江戸時代ということらしいので、こういった、美意識の定着というのは一般社会に普及するのに数百年かかるのかもしれません。
江戸時代の庶民にとっては、美しいと言うよりも哀しさを伴う自然現象と受け取って、とても愛でる対象ではなかったようです。事実、短歌や俳句でもあまり、その美しさについて歌われることはあまりありませんでした。
市井の庶民は、命に関わる厳しい冬を前にして、そんな悠長に紅葉を愛でる気分にはならなかったのも確かです。しかし、現代の日本では、紅葉を楽しむという行楽がすっかり定着しました。
それは、本居宣長が言っていた「もののあわれ」を、美意識の中心にする民族性があるのかもしれません。
季節には四季があり、日々その姿を変えていく。そして1年を巡る。その中で消える命もあり、あえて切り捨てなくてはならない命もあります(木々にとっては冬を越すために、落葉するように)。
その移り変わり自体を、空しい哀しいものと切り捨てるのではなく、哀しさの中に見出す美しさ。移り変わること自体を美しいと思える意識があるのだと思います。それは、世界的にも見ても特異であり、素晴らしい意識のような気がします。
そして、それはさまざまな日本の文化的にものに繋がっている気がします。永遠ではなく朽ち果てる木の文化もそうですし、(物にこだわらない)もそうだと思います。それはいい意味でも、悪い意味でも、人の思考だけではなく行動様式にも及んでいる気がします。
ひょっとすると、ごく限られた特権階級しか享受し得なかった紅葉狩りのような美意識が江戸時代に定着したように、今後改めて注目されるものが出てくるかもしれません。
冗談ではなく、船遊びや・・・。蹴鞠・・・貝合わせ。あの源氏物語の中に出てくるような貴族の遊びが、一代レジャーに発展・・・ないか。
経済成長も頭打ち、人口も減少していく世の中で、華やかで享楽的な外国文化をもてはやすのもいいですが、過去に実際に行われ、人々の意識にかすかに残る美意識を再発見し、これを現代風にアレンジするほうが、お金もかかりませんし、新しいトレンドのような気もします。
とりあえず、木が可哀想なので、桜の木や紅葉した木々をライトアップするのは辞めて欲しいと思っている仲村でした。
ではまた