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「クマのプーさん」展を観て

晴れ
本当に気持ちがいい日。

クマのプーさん展を観る。
舞台となったアッシュダウンの森を、上手く体感できるように工夫が凝らされていた。イギリスの田舎はきれいだなという思いと、クマのプーさんも、ピーターラビットも、イギリスの自然なくして成立しないお話なんだと思う。

クマのプーさんは、アメリカではディズニーでアニメ化されて、主人公などもかなりアメリカナイズされて、イギリスの人たちから、あれはクマのプーさんじゃないという批判があったらしいが、何となくその気持ちがわかった。

ディズニーのアニメイメージが強すぎたせいか、原典のE.H.シェパードさんの絵を見ると、かえって新鮮だった。なるほど、本当はこういう世界観だったんだと認識を新たにする。

小説家としては、作者のA.A.ミルンが、一連のプーさんシリーズを書き上げたあと、突然児童文学と決別して、大人向けの小説家に転向したことに興味を覚えた。

どうやら大人向けでは成功せず、失意の連続だったらしいが、その原因は、彼が残した言葉「私の最新の戯曲の主人公は、ああ神さま、『クリストファー・ロビンがおとなになっただけ』なのだ。」という悲痛な叫びにすべてが集約されている気がする。

一つの成功作が、独りの作家の創造力の源泉を呪いのように縛り付けてしまったのだ。

つまりそれは、作家のミルンは児童文学と決別したわけではなく、結果として形を変えたクマのプーさんを書き続けただけだなのだ。それは、大江健三郎さんも、夏目漱石も、村上春樹さんも、どの小説家も同じ道を辿ることかもしれない。そして、当然ながら自分も。

それは、のろいなのか、滑稽なのか、悲劇なのか、宿命なのか、ディズニー版よりクールな佇まいのプーさんを見ながら、ふとそんなことを考えてしまった。

仲村比呂
小説家
主に小さい子から読める物語を作っています。文学は最強です。

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